土井善晴 一汁一菜 ブログ

食と暮らし、持続可能な社会を考える、写真=疋田千里子育てに追われて時間がとれない、仕事で疲れて料理する気になれない、一人分を作るのは面倒……。「食べること」が大切だとわかっていても、おろそかになってしまいがちな毎日の料理。そんななか、台所に立つ人を楽にしたいと『一汁一菜でよいという提案』という本を書いたのが、テレビや雑誌でもおなじみの料理研究家・土井善晴さんだ。家庭料理の研究の末に行きついた“一汁一菜”とはどんな食事スタイルなのか、土井さんに聞いた。 でも、皆決してそれでいいとは思っていない。たいていの人が、毎日の食事をきちんとしたいと考えていることもわかりました。外食ばかりでは落ち着かないし経済的にも続かない。食がきちんとしないと何か自分の暮らしに自信が持てず、未来にも不安を感じる。皆食べることの大切さは体で知っているけれど、何をどうすればいいのかがわからない。そんな風に、食との向き合い方に悩んでいるんですね。 「食」とは人が生きるための基本となる行為なのに、何かに強制されるように義務感で料理しているとしたら辛いですよね。生きることそのものが辛いことになりかねない。だから、少なくとも自分と家族を守るということなら、何もそんなにむずかしく考えなくてもいい、心の置き場、基本となる形さえもっていれば、もう食事作りに悩むことはないんだよと伝えたかったのです。 昔の庶民の暮らしではおかずはつかないことも多かったから、実際には「みそ汁、ごはん、漬物」だけで一汁一菜の型を担ってきました。だから、いまだって、おかずをわざわざ考えなくても、ごはんとみそ汁を作り、みそ汁を具だくさんにすれば、それで充分「一汁一菜」なんです。「みそ汁、ごはん、漬物(おかず)」の型にこだわらずとも、ごはんと具だくさんのみそ汁さえあれば「一汁一菜」になる(写真・料理=土井善晴) ごはんを炊いて、具だくさんのみそ汁をつくる。これだったら料理の上手下手もないし、男女の違いもないし、一人からできる。10分もあれば食べ始められます。栄養面でいえば、日本人はずっとこれを続けてきたのだから、毎日3回ずっと食べ続けたとしても元気で健康でいられるはずです。まあ、ええことだらけなんですよ。 考えることはいりません。日常の食事を一汁一菜と決めてしまえば、食事作りのストレスはなくなります。これなら料理が大変と言っている人たちにも、顔洗ったり部屋を掃除したりするのと同じ、毎日繰り返す日常の仕事の1つとして受け入れてもらえるんじゃないでしょうか。 もちろん、野菜の泥を洗い、食べやすく切って、火を入れる。これは手間ではなく基本的な当たり前の調理。ここはていねいにする。でも、それ以上に手をかける必要がないのが一汁一菜です。写真=疋田千里 一汁一菜のすごいところは、毎日食べても食べ飽きないということです。なぜかといえば、素材が季節によって変わるということもありますが、それ以上に、ごはんもみそ汁も漬物も、どれも人間が意図してつけた味やないからです。 ごはんは米をといで水加減して炊いただけ、みそも漬物も微生物が作り出したもので、そこには小さな大自然ができています。自然の山の景色とか一輪の花の美しさとか、見飽きることがありませんよね。それと同じです。 自然のままだから、ふたつと同じものがない。ダイナミックに変化する。それが、人間のなかにもある自然ともなじんで、心地よく感じるのです。たとえば、みそ汁ひと椀のなかの変化いうのはものすごいですよ。すごくおいしい日もあればふつうの日もある。「今日はこんな味がした」「今日は昨日とは違うね」と、自然の風景を眺めるように、みそ汁を味わってみるとよいのではないでしょうか。 私は料理研究家として、先人たちが知恵と豊かな感性で培ってきた日本の食をなんとか残したいと思っています。3年前に和食が世界無形文化遺産に登録されましたが、これは“絶滅危惧種”やいうことです。このままやったら、なくなってしまうことは間違いないでしょう。でも、一汁一菜ならみんなが実践しやすいから残りやすいのではないか。和食を伝えていく方法としても、ええことやないかと思っているんです。そのときにあるものを入れて、気負わずに自分用のみそ汁を楽しんで。トーストと合わせても(料理・写真=土井善晴) もちろん、時間や気持ちに余裕があるときには、お肉や魚でおかずを作ってもいいんです。いまはお料理がたくさん並んでいることが当たり前になっているけれど、一汁一菜が当たり前になれば、いつもはないはずのさんまやハンバーグが食卓にあるのだから、子どもたちは大喜びです。 作る側も、誰からも強制されたことじゃなく、純粋に家族を喜ばせたいという気持ちからのものになる。それが、料理する本当の意味なんですよ。「これ、あの子喜ぶかしら」とか子どもの顔を思い浮かべながら作ったものを、子どもたちが一生懸命食べる表情を見ていたら、幸せよね。 一汁一菜という原点のスタイルに戻す、つまり「初期化」することで、いろんなものがリセットできる。そこからまたそれぞれの家庭で新しい食文化、それぞれのおうちの形を作っていってくれたらいいなと思うんです。今日はお刺身があるから魯山人の向付を使おうかとか、今日は一人分やからお膳に並べてみようかとか、楽しみいうのは無限に広がっていきますよ。 食育というと、子どもたちといっしょに料理をするというイメージがありますが、子どもはお父さん、お母さんのやっていることを見てたらそれでいいと思うんです。お手伝いも経験として大きなもんやけど、無理にさせなくても、ただ、「ただいま」と家に帰ったら台所からいいにおいがするということだけでも充分。ああ、今日はうどんやなとか、カレーやなとか、あ、今日は魚煮つけてるなとか……。そういう台所の気配やにおいで愛されていることを全身で感じ、生きる力が育まれていくのです。 いまはすぐに「おいしい」か「おいしくないか」ばかりが話題になりますが、家庭料理はおいしいものばかりである必要はありません。おいしくない体験をすれば、いつもとちょっと違うね、この違いって何なのと考える。そしたら、今日はお母さん疲れていてやる気のないごはんなんやってわかる。 野菜の味がいつもと違うっていうたら、「あんたようわかるね。これはおばあちゃんが送ってきてくれた野菜や」とかね。毎日のことやから、その情報の交換はものすごい量なんです。外食や外で買ってきた食べ物とは交換される情報量が全然違うんです。 だから親のほうは、上手下手を気にする必要は全然ないんです。そんなことよりも、作って食べさせること。うちのお母さん、料理下手でも毎日作ってくれたいうことのほうがはるかに大事なんです。まず、一汁一菜の型をきれいに整えてください。大人だって目の前に整ったお膳があれば、自然と姿勢が正される気持ちになるでしょう。この型を守ることで子どもたちもお行儀がよくなって、ごはんの食べ方も身につく。これが食育のはじまりです。土井善晴著(グラフィック社、2016年)料理研究家・土井善晴が、日本古来の「一汁一菜」を通して現代日本の食文化の見直しを提言する一冊。一汁一菜(本書ではご飯+具沢山の味噌汁として提案)の具体的な実践法を紹介しつつ、家庭料理の役割や食文化の変遷、自分で料理することの大切さなどを説いていきます。料理研究家。1957年、大阪生まれ。スイス、フランスでフランス料理を学び、帰国後、大阪「味吉兆」で日本料理を修業。土井勝料理学校講師を経て92年に「おいしいもの研究所」を設立。変化する食文化と周辺を考察し、命を作る仕事である家庭料理の本質と、持続可能な日本らしい食をメディアを通して提案する。元早稲田大学非常勤講師、学習院女子大学講師。テレビ出演、雑誌の連載、著書多数。近著に『おいしいもののまわり』『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)。取材協力/おいしいもの研究所 撮影/疋田千里 取材・文/高山ゆみこ 構成/編集部

瞑想を続けている方、瞑想が気になっている方、このブログへようこそ 瞑想とは直接関係はないのですが土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」が素晴らしかったので… こんにちは、吉田です。 (早いもので7回目の記事…) ここ数日、ちょっと暖かくなってきましたね!家のベランダから引っ越してきた去年の4月中旬には既に花が散ってしまってたので、咲くのが楽しみです…どんな花なのかな〜  さて、今日はシンプルなきっと実際にやってみて分かった、聞いただけ、見ただけでは分からない良さをご紹介しますね。  まず、一汁一菜とは?一汁一菜とは、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)。その原点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型です。( 誰でも分かりますね!ご飯とお味噌汁とおかず…(私のある日の朝食です) 土井先生が以前テレビで、「おかずなんて大層なものは要らないんです。お味噌汁に具が入っていたら、それがおかずみたいなもん。漬物でも少しあればいい。」みたいな事をおっしゃっていたのを思い出します。 また、先生がこの本を書くきっかけとなった一つに、主婦の皆さんの「今晩何作ろう。思いつかない。」という沢山の声があったそうなんです。 …つまり先生は、そんなお料理を作るのが大変だと感じている皆さんのために、この「一汁一菜」を提案されたんですね。 確かに私も、大学の授業やバイト、家事などをしていたら忙しくて料理ができていませんでした。料理はもともと好きなのに、小さい一人暮らし用のキッチンを目の前にするとやる気がしょぼーーんとなってしまって、いつもスーパーのお惣菜やコンビニで済ませていました…(あれ、忙しいの関係無い?) しかしある日、  って思えたのが大きかったと思います。別に誰かに褒められるような、女に生まれてきた以上、料理とは一生付き合って行くものだと思っていたのもあって、まだ成人もしていないペーペーなのに変に気負ってました(笑) そんなわけで、次の日ちょっと早起きしてご飯を炊き、キャベツを炒めて賞味期限切れかけのお豆腐を入れて、さっと味噌を溶いただけの簡単なお味噌汁を作って食べてみました…  すると、  ってなったんです! 別に手の凝った料理でも無いですし、特別な材料も使って無いんですが、きっとこの反応は正しいんだと思います。 土井先生ならきっとこう言いますね。「そんなん当たり前やわ。まずくなるようなこと何もしてないもん。」 食材に私たちが無理に手を加えなくても、元々十分美味しい。 だから、忙しくて時間がないような日は一汁一菜でいいんだなと思いました。 大切な人に振る舞ったりする料理とは別で、自分一人が食べるものは自分が美味しいって満足すれば良いですもんね!  そしてこんな変化がありました。まず、生活に張りが出てきた事と、それによる気持ち的な安定感です。(メンヘラじゃないですよ?) 簡単だし時間もかからない一汁一菜ですが、それでも自炊です。自分でご飯作れてるっていう自信みたいなものが生まれてくるんですね。ちゃんと生活送れてるって。  ゴミ袋がコンビニ弁当の容器ばかりになってるのを見ると罪悪感が押し寄せてくるの、嫌だったなあ…  人間の感じる1番のストレスは罪悪感と言われてますから、精神衛生上良くない生活でしたよね。健康にも良くないですし。  でも、ここでこんな疑問や反論が生まれてくると思います。  「作る方が効率悪くない?」「時間をお金で買ってるんです!」「最近のコンビニ食すごいんだよ?」「時間のない生活だから買って食べるんだよ?」 などなど… でもね、違うんです。そういう話をしてるんじゃないっ!!土井先生もおっしゃってますが、  その為の一汁一菜でもあるんです! 上でも述べたように、少しの時間をかけて、 すぐに実行できるので、大学生からサラリーマン、OLさんや自営業の方も、 もし、自分の大切な人がしょぼんってなっていたら、お味噌汁とちょっとしたおかずを作って、話を聞いてあげることもできますよね。家庭料理という枠内の一汁一菜なので、安らぎと安心感を与えることができると思います。 日常の自分だけの時はご飯とお味噌汁で、誰かを招いたときはちょっとしたおかずを作ってみたりして…そんなふうにこうしなきゃいけない、こんなふうに在らなければならない、という負担が少ないのも嬉しいです。  …そんなわけで、一汁一菜をやってみた結果は…    です!意外じゃないですか?「時間がない」と思った方、作業能率上がると思うので、ご飯作ってる分の時間取り返せると思います。仕事も捗るんじゃないでしょうか?穏やかな気分で人に接することも増えると思います。 良いことづくしですね!もうやるっきゃないでしょ! 続かなくても良いんじゃないかって思いますね。まずは三日坊主で三日間やって見て、一日休む。次は四日間やってみて…みたいな。家庭を持っていて、妻や夫が作ってくれるという方はちょっと一日だけでも代わりにやって見るとかも良いですね。(私も誰かのために作りたい…)  …とそんな感じで今日の記事は終わりです。一汁一菜の素晴らしさ、少しだけでも分かっていただけたでしょうか?ぜひ実行してみて欲しいです! 追記ですが、必ずしも毎日ご飯を作らなきゃいけないという趣旨の記事では無いです。あくまでも普通の日は一汁一菜で良いんだ、という提案です!三日やってみたら、1日は家系ラーメンでも焼肉でも何でも外食しちゃっていいと思います。(でもきっと一汁一菜の魅力にとらわれてしまうと思います…笑)  そして、この お米、味噌…どれも ぜひ手にとってみて下さいね。(私は土井先生の回し者ではありません笑)   さあ!     …次は美術の記事です。楽しみにしていて下さいね〜 コメント、リク   2018年2月18日 吉田