セガ ゲームソフト 歴史

│ 当サイトについて:あなたの好きなもの、好きだったものをプラスαの内容で刺激したい。色々書いてますのでぜひ観ていってください!  お名前 (必須)メールアドレス (必須)題名メッセージ本文 ノンジャンルの雑多なブログサイトとなり恐縮ですが、関心が無い方にも興味を持って貰える様な書き方を心掛けていますので、時間がありましたら他ジャンルの記事なども覗いてもらえると幸いです。 そんなこんなでここ十数年、ソフトメーカーとしてゲームソフト開発に徹していたセガですが、昨年2017年にジェネシスの復刻版と呼べる『セガジェネシスフラッシュバック』をアメリカにて発売。 こちらがアメリカで大ヒットしているとのこと。 【Twitterアカ】 自社作品を当社作品を原作としたものは除く 記事公開日:2018年4月12日 ここ最近、日本国内でもクラシックミニファミコン&ミニスーファミが売れに売れ、ひっそりと古いレトロゲーム機ブームが起きているように感じます。セガも昨年2017年、北米向けに『セガジェネシスフラッシュバック』を発売。『メガドライブ』の往年タイトルを85本も収録したレトロゲーム機となり、海外では大ヒットを記録しているようです。「レトロゲーム」は何を変えるのか。セガの歴史と共に振り返っていきます。TVゲーム黄金期と呼ばれた1990年代前半。国内ではスーパーファミコン、メガドライブ、PCエンジンといったゲーム機たちがシェア争いをしていました。最終的にはスーパーファミコン圧勝の形となり、「マリオだ!」、「FFだ!」で、任天堂天下が築かれていましたね。 しかし、海外では少々事情が異なっていました。特にアメリカにおいては、ジェネシス(北米版メガドライブ)がSNES(北米版スーパーファミコン)を退け、ゲーム機シェアトップに。北米累計2,000万台の大ヒットを記録。(1995年時点) まさかのセガ天下が築かれていたわけです。その背景には、当時のセガが発売した『ソニック・ザ・ヘッジホック』を筆頭とするアクションゲームの人気、かつアメリカユーザーを惹きつけるの巧みな広告戦略があった模様。 ↓ジェネシス人気を支えた初代『ソニック・ザ・ヘッジホック』。  ↓アメリカではシェアNO.1となった『ジェネシス』。日本版のメガドライブとスペックや機能はほぼ変わらない。  アメリカでは、スーパーファミコンではなくメガドライブだったわけですね。  その後、1990年代後半。スーパーファミコン・メガドライブの時代は終わり、『NINTENDO64』、『プレイステーション』、『セガサターン』の次世代機の時代へ。 プレイステーションVSセガサターンの戦いとなり、当初はセガサターンが奮闘していたものの、『ファイナルファンタジー』や『グランツーリスモ』といった強力なソフトラインアップに圧され、最終的にはプレイステーションが覇権を握る形に。 その流れは、次世代『プレイステーション2』にも引き継がれ、セガのゲーム機シェアは次第に落ち込んでいきます。 が、見事に惨敗。 ↓セガの「湯川専務」を広告キャラクターに使い、自虐ともいえるインパクトの強いプロモーションを行うもののプレイステーションには勝てず。 そして運命の2001年。『ドリームキャスト』の失敗も含め経営的にも厳しい状況に見舞われたセガは、ハードウェア事業からの撤退を決断。ドリームキャスト以降2018年現在まで、その後セガからゲーム機が発売されることはありませんでした。 そんなこんなでここ十数年、ソフトメーカーとしてゲームソフト開発に徹していたセガですが、昨年2017年にジェネシスの復刻版と呼べる『セガジェネシスフラッシュバック』をアメリカにて発売。 こちらがアメリカで大ヒットしているとのこと。 ↓本体やコントローラのデザインは、オリジナル版とほぼ同じ。なおコントローラはワイヤレス。  この『セガジェネシスフラッシュバック』は、と、レトロゲーム機としてはなかなかに魅力的な製品。   先日2018年4月8日、yahooニュースにて以下の内容が公開されました。 出典:yahooニュース「セガ、ゲーム機へ再参入検討 メガドライブ復活か」日本国内でも、メガドライブの復刻版の販売を考えているとのこと。もし日本でも復刻版が発売され、昨今のレトロブーム人気で大ヒットしたら。それに『サクラ大戦』や『シェンムー』等のかつてのキラータイトルを気持ち悪いほどに沈黙させ、水面下に抱えているセガ。ハードとソフトでたたみ掛ければ、もう一度狙えるんじゃないでしょうか。セガはいまでこそソフトメーカーとして大人しくしていますが、かつてはゲーム機開発の最前線で争っていたメーカー。もう一度、セガのゲーム機が並ぶ世界を見てみたいものです。この先どうなるかは、昨今のレトロゲームブームがどこまで後押ししてくれるかといったところでしょうか? 関連記事:  セガのゲームソフトに関するカテゴリ。 アーケードゲームはCategory:セガのアーケードゲームに含める。 メダルゲームはCategory:セガのメダルゲームに含める。 サミーより権利を継承したタイトルについては、Category:サミーのゲームソフトを参照。 1998年3月に2015年4月に経営危機が表面化した2016年9月に尚、『ぷよぷよ』、『セブンスドラゴンシリーズ』、『STELLA GLOW』、テクノソフトの作品の知的財産権は後述の通りセガホールディングスが保有し、セガゲームスは開発・製造・販売のみを担当している。子会社のアトラスのタイトルの全権利はアトラスとセガホールディングスの共同保有となっている。 映画を愛し、ゴジラを愛し、FFを愛し、車を愛します。

この記事を書いている管理人のsyumiです。 このページではそんなセガのゲームハード機の歴史を年表で振り返ってみます! 赤色の各項目をタップすると、詳細説明箇所にジャンプできます! 1983年7月15日: SG-1000/SG-1000II 発売 sc/sgシリーズで使用することができるカートリッジタイプのゲームソフト。 セガ・マークⅢ、マスターシステム、ツクダオリジナル社のオセロマルチビジョン、パイオニア社のパイオニアsd-g5でも使用することができるため、「全機種用」とも呼ばれる。 �・ Copyright 2020 CSLBOOK -好きなものは好き-. セガより発売されたゲームソフトで、日本国内での売り上げ本数100万本を突破したものは、現時点では1995年のセガサターン用『バーチャファイター2』と2006年のニンテンドーDS用『オシャレ魔女 ラブandベリー DSコレクション』の2本のみ セガを辞めた中山氏、新ゲーム会社設立 セガとマイクロソフト、x-boxの共同開発に関する交渉が決裂 世界初の全世界通信対戦を実現 米国ラムバス社が日立製作所とセガを提訴(後に和解成立) ソフトウェア研究開発部門を分社化 « メガドライブ紹介。家庭用ゲーム機として初めて16ビットCPUを搭載。セガ以外のソフトメーカーも本格参戦し、周辺・関連機器も数多く登場。北米ではジェネシスという名前で大ヒットした。 1984年に1980年代末頃、家庭用ゲーム機で自身の1994年末に発売したセガバンダイの破談後、大川功CSK代表取締役会長がセガ代表取締役会長にも就任(兼任)したことで実効的に経営参画し、CSKとセガ、1998年11月に社運を賭けて発売した2001年1月31日、経営再建策「2003年2月13日にセガはパチスロメーカーのしかしながら、2001年9月にアミューズメント事業で業務提携していたナムコ(後の2003年12月、当初発表通りサミーがCSKの保有するセガ株22.4%を453億3400万円で買収し筆頭株主となり、セガは事実上サミーの傘下に入った。また2004年に作家のセガサミーホールディングスは、2014年5月9日にグループ各事業の収益構造を見直し、かつ成長分野への経営資源投入を可能とする事を整備する事を目的として、「グループ構造改革本部」を設置。2014年9月30日にセガの資本金を600億円から1億円に減資した。2014年10月31日に、グループをエンタテインメントコンテンツ事業・遊技機事業・リゾート事業の3事業グループへ再編する、収益性の抜本的改善の取り組み、セガ構造改革担当に関する人事の3点を発表し、2015年1月30日に、同時に、子会社管理などのコーポレート部門、IP(知的財産権)管理部門、ITインフラ部門をセガホールディングスへ、日本娯楽物産時代から手掛けていたこれに伴い、セガゲームス、セガ・インタラクティブ(2社共前身のセガが開発したタイトルも含む)、セガゲームスは従来からの家庭用ゲームやPCゲームを手掛けるコンシューマ・オンラインカンパニーと、旧セガネットワークスが行ってきたセガホールディングス設立後から行われている事業再編計画により、セガホールディングスが保有していたインデックス(後の経営面では、広告宣伝費の高騰などからセガ時代の2012年3月期から2016年3月期までの5期連続で7億7900万円 - 93億5800万円の営業赤字が2018年8月20日に本社所在地・本店所在地をドリームキャストの製造中止を発表した2001年以降はコラボレーションによるソフト開発や、アーケードゲーム基板「セガより発売されたゲームソフトで、日本国内での売り上げ本数100万本を突破したものは、現時点では国外ではジェネシス(国外版任天堂との共同開発(海外ではセガの販売)である「また、系列会社にその他、アーケードゲーム事業と同じくコンシューマゲーム進出前からの主力事業で、1965年に進出。「セガワールド」「セガアリーナ」「ハイテクランドセガ」「クラブセガ(CLUB SEGA)」「ギーゴ(GIGO)」「1980年代に玩具事業(TOY事業部)を立ち上げ、1994年5月にセガが株式会社ヨネザワを買収し、株式会社セガ・ヨネザワに社名を変更している。それ以降は当社の玩具事業と並立する状態が続いていたが、1998年4月に当社の玩具事業も完全にセガ・ヨネザワに移管し、それと同時に株式会社1994年7月に開業した1994年にセガが子会社のセガ・ミュージック・ネットワークスを設立し、「かつてはセガのゲームソフトから派生した作品及び提供した番組を掲げる。

前回 エポック社が1985年に発売した携帯型ゲーム機。定価12000円。本体は非常に大きく、携帯ゲーム機であるにも関わらず持ち運ぶには不便だった。またそのため遊べるソフトがかなり数が少ない。ソフトがなければ売れるわけはなく…、売り上げは悲惨なものであった。(任天堂くらい自社でいろいろ作れれば変わったんでしょうが。) スマブラで知ってる人も多いファミリーコンピュータの周辺機器。開発者は横井軍平(ゲームボーイとワンダースワンの生みの親)。価格9800円。  任天堂のファミリーコンピュータの周辺機器。1986年2月21日に発売された。カセットの代わりにディスクライターを店舗に設置し、ソフトウェアの書き換えができるサービスも存在した。1タイトル500円と安価に書き換えることができたので、子供たちに人気だった模様。ゼルダの伝説、メトロイドなど現在も続く人気シリーズが初めて発売されたのはディスクシステムである。 1986年にシャープ株式会社が発売したファミリーコンピュータ互換機。通常のファミリーコンピュータとディスクシステムを一体化したハードであり、 1987年10月30日にNECより発売された家庭用ゲーム機。スーパーカセットビジョンでの開発のノウハウを活かして市場に投入。当時の常識を覆すような全てのハードを凌駕する圧倒的な性能と多くのヒット作を持っていた「ハドソン」とタッグを組みハードソフト両面でサポートを経てファミコンに挑んだ。ACゲームの移植が多く発売され、一時はファミコンに匹敵する人気を得た。584万台販売。 ★ PCエンジンには多くの種類が存在する。中には携帯ゲーム機も。 1990年12月発売 。価格44,800円。世界初となる据え置き型ゲーム機との互換性がある携帯型ゲーム機。(さすがSEGA、時代の先を行ってますね…。) 1988年12月4日に発売されたPCエンジン用周辺機器。といった利点がありその後に大きく影響を与えた。 当初は値段が高く周辺機器ということであまり普及しなかったが、PCで発売されたアクションRPG「イース1・2」やアーケードで人気のSTGを移植。「スーパーダイライアス」など大作が発売されキラータイトルとなった。またNECの表現規制が緩かったこともありCDを活かした音声が流れるギャルゲーも発売された。何故かNECのグループ会社であるNECアベニューが積極的にアダルトゲームの移植をしていた為、いつの間にかに スト2は有名だが知名度の低い「ストリートファイター1」その唯一の家庭用移植版。名前が違う理由は謎。後に「ストリートファイターIIダッシュ」も移植された。 アーケードで大ヒットし、その後のSTGゲームに多大な影響を与えた名作。AC版の稼働から1年足らずで家庭用に移植。当時のACから家庭用への移植はタイトルが同じだけの別物といえるような状態だったにも関わらず、キラータイトルとしてPCエンジンの普及を手助けした。 セガが発売した8ビットの家庭用ゲーム機。元々はセガ・マークIIIの米国向け機種として発売されていたハードである。セガマーク3をベースにFMサウンドユニット、ラピッドファイア(連射装置)、3D-グラスアダプタを搭載。 この成功から後継機であるメガドライブにうまく繋げることができた。 セガが1988年10月29日に日本で発売した16ビットの家庭用ゲーム機。マスターシステムの後継機である。専用アダプターを付けることで互換機能を持つことができる。(今では考えられないですが、海外では一時期任天堂ではなくセガがNO1だったのです。)   実写映画もゲーム映画史上NO1を売り上げ(名探偵ピカチュウを超える)ほどなので海外でのソニック人気は本当にすごいですね。メガドラでは人気STGの新作、スーパーファンタジーゾーンが発売された。グラフィックはアーケード版ファンタジーゾーンと比べても美麗になったアフターバーナーなどマーク3では移植度が低かったタイトルもグラフィックの劣化はありながらもゲーム性を維持したまま移植が可能だった。 セガのAM2研によって開発されたアーケードゲーム。ポリゴンを使用した3Dレースゲームでデザイナーは鈴木裕。カセット内にセガバーチャプロセッサと呼ばれるポリゴン描写用のカスタムチップを搭載して3Dゲームを出すという荒業。  メガドライブ用の周辺機器。1991年12月12日に発売、価格は49,800円。メガドライブに接続することによりCD-ROMソフトで遊ぶことができる。専用のCPUを搭載することで、画像の回転・拡大・縮小がハードウェア側で処理できるようになった。 メガCDの代表的ゲーム「シルフィード」ゲーム自体は2DSTGだが、ポリゴンをゲーム性としてではなく演出として使用しているゲームである。   メガドライブ用の周辺機器であり最後の生命維持装置。16ビットマシンであるメガドライブを32ビットマシンへとパワーアップできる。メガCDと32Xがないと動かないソフトもあり、日本ではセガサターンの開発が進んでおり、マーケティングの混乱を招いた。日本では売れなかったものの・・・米国では売れてしまったため32Xの評判の悪さからセガサターンが敗北してしまう要因となってしまった。 スーパー32Xタイトルは全34本。その中にはメガCDとの組み合わせでしか動作しない6本も含まれる。 スペースハリアーやアフターバーナーもついに完全移植できるようになったが、セガサターン版が後に発売され完全に意味のないものになってしまった。 元祖3D格闘ゲームとして有名なバーチャファイター。32X向けにも発売された。なんとセガサターン版から一年後の発売である。さらにバーチャファイター2が発売された後であり、32X版から2か月後にはサターン版の2が発売されるタイミングであった。今更1が売れるわけがない。  ゲームハードの良しあしで語るタイプの人はあまり理解できないなぁ。ゲーム好きなら全ハード買えばいいわけです。 某ゲーム会社の”企画””担当。某ゲーム会社の”企画””担当。