よるのあと 歌詞 意味
作詞:川上洋平作曲:川上洋平「あまりにも素敵な夜だから」。このタイトルにはどんな意味があるのでしょうか。「素敵な夜」を想像させますが、この曲は、主人公が踊り明かし酔っ払って、公園で目を覚ます場面から始まります。きっと誰もが感じたことのある、あの憂鬱感から始まるのです。この状況で多くの人は、昨日のことを後悔したりすると思いますが、主人公は昨日の夜のことを「あまりにも素敵な夜」として、悲観したりしません。「あまりにも素敵な夜だから」こそ、どんなに翌日辛かろうが関係ない。素敵な「今」を大切にするという思いが込められているのだと思います。目が覚めたら公園にいた。主人公は、酔っ払って外の公園で寝ていたようです。「どうして」と言っている事から、昨日のダンスクラブのことは覚えているけど、その後どうやってこの公園行き着いたかは曖昧のようですね。土曜日の公園ということは休日の公園。子供達が遊んでいて、そのにぎやかさで目が覚めたのかもしれません。飲み明かした挙句、そんな場所で目が覚めたら、きっと誰でも憂鬱になると思います。楽しかった昨日とは打って変わって、一気に現実に戻ってきたような、そんな主人公の虚無感が伝わってくるのではないでしょうか。笑わせたり、気遣うことに疲れて喧嘩した。「Shakedown1994」という歌詞は、一体どういう意味なのでしょうか。意味を調べると、「間に合わせの寝床」「ゆすり・脅し」「徹底的な捜索」などがありましたが、とあるインタビューで川上さんが次のように話していました。歌詞のなかに<Shakedown 1994>っていう部分があるんですけど、これは、The Smashing Pumpkins(アメリカのロックバンド。1990年代のオルタナティブロックを代表するバンドの1つ)の“1979”の<Shakedown 1979>っていう歌い出しからきていて。“1979”を初めて聴いて、「Shakedown」っていう単語を調べたとき、「試行錯誤」っていう意味があるんだっていうことを知って。ビリー・コーガン(The Smashing Pumpkinsのボーカル、ギター)がどういう意味でこの言葉を使ったのかは謎ですけど、いつか使いたい単語だったんですよね。このコメントから、「試行錯誤」という意味である事がわかります。続いて、「お道化疲れて〜」の部分を見てみます。普段から周りのことを考えて、ふざけて笑いを取ったり、優しくしたりしていても、時々どうしてもそれに疲れてしまうことってあると思います。「お道化」とはピエロのように、人を笑わせるような身振りや言葉を言ったりすること。それに疲れ、相手に本音をぶつけて喧嘩になったのだと思います。そして、「ただ笑っていたいだけなのにどうして?」とそのことを後悔しているように見えますね。何かを仲間同士で試行錯誤することは苦悩を伴いますから、喧嘩が起きるのもある意味素敵なことのように思います。試しては失敗を繰り返した。試行錯誤の苦しみがすごく表している歌詞だなと思いました。「間違って/間違って/」という記し方が、試しては「違う」の繰り返しで出口の見えない作業の苦しさををうまく表現しています。八つ当たりして後悔して、それもセットで繰り返してしまっているのでしょうか。負のループが見えてきて、途方も無い気持ちが伝わってきます。「もう全部いらないや」って何もかも忘れられるような空間。お酒をたくさん飲んで、羽目を外した後の翌日は誰もが重たい気分になると思います。二日酔いはもちろん辛いですし、後悔したり、「もうあんな風に飲まない…」なんて思ったりするのではないでしょうか。主人公はそんなことは一切考えずに、その瞬間をとことん楽しもうとしています。当たり前じゃなく、尊い「今」という時間をしっかり生きているということでしょう。現実逃避しているようで、その瞬間も自分の糧として取り込もうとしているのです。夜の楽しい時間は夜明けと共に消える。「9-5pm」という夜の華やかな空間は、夜明けと共に終わりを迎えます。「楽しい時間はもう終わりだよ」と言われているような、切ない気持ちになりますよね。お酒を飲んで、踊って、仲良くなる人もいるでしょう。昼間に出会って出来た友達とはちょっと違い、夜に出会った人は何故だか特別な感じがします。でもそれも言ってみれば気のせいで、夜が明ければ解散して、連絡先なんて知らずに終わるってこともよくあると思います。居心地のいいその空間は束の間で、主人公はそれを「ぬるま湯みたいなHigh Five(ハイタッチ)」と言って虚しさを感じている。「こんなとこでは終われない」という部分から、この虚しさをモチベーションに変えているという事がわかります。間違いを繰り返し、そのうちそれも”らしさ”になってかっこよくなったりする。「あきれるぐらいの”Miss”」について、主人公はきっと失敗することもむしろ楽しんでいるようになっているのではないでしょうか。やったことが間違いでも、それは自分の内側から出てきた素晴らしい物だと思います。それが積み重なって個性となり、「”様”」になってくる。そうやって自分らしさを受け入れることで失敗すら楽しむことができるのだと思います。人生は短いものだから、「今」を大切にする。怯えや恥と言ったネガティブな感情がある時は、単純につまらないと感じます。「今」を大切にしている主人公は、つまらないと感じる時間は無駄だと思っています。その感情のせいで行動できなくなるのは勿体無いですよね。臆病になったり、間違いを恥ずかしがって、時間を無駄にするよりも、間違いを悔しんだり苛立ったり、素直にもがいていた方が良いということでしょう。誰もが過ちを犯す。間違わない人はいないし、失敗は成功のもと。聞き飽きるくらいみんな知っていることです。それなのに、他人の失敗をいつまでも避難したりからかったりする人っているものですよね。主人公はそんな人に対して、「ewww! 註2: ごく 常識的 に訳せば「僕は幸せと熱情的な幻を夢に見た、」となるが、ここでは原文の語順を尊重した。 註3: ごく 常識的 に訳せば「君は曙(あけぼの)によって照らされた空のように輝いた。」となるが、ここでは原文の語順を尊重した。 Tu m’appelais et je quittais la terre 「Shakedown1994」という歌詞は、一体どういう意味なのでしょうか。 意味を調べると、「間に合わせの寝床」「ゆすり・脅し」「徹底的な捜索」などがありましたが、とあるインタビューで川上さんが次のように話していました。 歌詞の意味については、聞き手それぞれが自由に解釈すればよいが、谷村新司本人が自著の中で一つの解釈を示しているので、参考までにご紹介しておきたい。 ちなみに昴(すばる)とは、おうし座の散開星団「プレアデス星団」のこと。青白い星の集団で、肉眼でも7個前後の星を視認できる 南国土佐を後にして 歌詞の意味 よさこい節 思い出します 故郷の友が 門出に歌った よさこい節を 『南国土佐を後にして』(なんごくとさをあとにして)は、1959年にリリースされたペギー葉山のヒット曲。作詞・作曲:武政英策。 発売から1年でミリオンセラーを記録し、同年末のnhk 「熱帯夜」は、1994年7月21日にリリースされたthe yellow monkeyの4枚目のシングルで、私がイエモンで最も好きな曲の1つです。「熱帯夜」が好きすぎて、歌詞の世界を深く考察してみました。切ないひと夏の恋の歌だと思ってたら、もっと奥が深いテーマだったんですね。 今からここに書くのは完全に個人の解釈によるもので言ってみれば僕の妄想です。 なのでそういう読み方もできるよねと言う程度でお楽しみ下さい。 先に結論を書いておきます。 僕が見つけたこの曲の裏ストーリーは、「少年が友達を亡くした悲しみと折り合いをつけ、未来へ向かって歩き出 『昴 すばる』は、1980年4月にリリースされた谷村新司のシングル曲。ソロ活動では最大のヒット曲であり、NHK紅白歌合戦に同曲で5回出場している。谷村新司は明治の詩人・石川啄木の愛好者として知られ、『昴 すばる』の歌詞も啄木の作品から大きな影響を受けている(詳細は後述する)。歌詞の意味については、聞き手それぞれが自由に解釈すればよいが、谷村新司本人が自著の中で一つの解釈を示しているので、参考までにご紹介しておきたい。ちなみに昴(すばる)とは、おうし座の散開星団「プレアデス星団」のこと。青白い星の集団で、肉眼でも7個前後の星を視認できる。「すばる」の語源は「統べる/統ばる/統まる」であり、多くの物が一つにまとまった状態を表している。写真:昴(すばる)/プレアデス星団(出典:Wikipedia)まず最初に、谷村新司『昴(すばる)』と明治の詩人・石川啄木との関係について簡単にまとめてみたい。谷村新司は、石川啄木の作品を愛読していたようで、彼の作品は啄木の影響を強く受けている。大学時代に石川啄木を読みました。読んだと言うより食べました。そしてその時食べた糧が、曲や詩となって出てくるのです。それが私の心の中の啄木です。<引用:「啄木に誘(いざな)われて」遊座昭吾/岩手県立盛岡第二高等学校生徒会誌『白梅』平成13年発行より>石川啄木といえば、1909年(明治42年)創刊の文芸雑誌「スバル」における発行名義人であり、同誌の同人らはスバル派と呼ばれていた。石川啄木が1912年に発表した歌集「悲しき玩具」の冒頭を見ると、谷村新司『昴(すばる)』がいかに影響を受けているかが良く分かる。呼吸(いき)すれば、眼閉づれど、<引用:石川啄木 歌集「悲しき玩具」冒頭より>これと対応する谷村新司『昴(すばる)』の歌詞は次のとおり。目を閉じて 何も見えず<引用:谷村新司『昴』一番の歌詞 冒頭より>呼吸をすれば 胸の中 <引用:谷村新司『昴』二番の歌詞 冒頭より>ご覧のとおり、谷村新司『昴』は石川啄木の作品から強い影響を受けていることが良く分かるだろう。谷村新司『昴』に影響を与えた可能性がある文学作品として、宮沢賢治の詩「昴」にも軽く触れておきたい。沈んだ月夜の楊 (やなぎ) の木の梢 (こずえ) に<引用:宮沢賢治「昴」/春と修羅 第一集より>宮沢賢治「昴」では、天体の昴〈すばる〉を擬人化し、星が空からまるで宮沢賢治に語り掛けているような表現がなされている。この「昴〈すばる〉の擬人化」という作品が、後の谷村新司に何らかの影響を与えた可能性が考えられる。『昴(すばる)』作詞・作曲者である谷村新司本人は、その歌詞の意味や由来について、2014年出版の自著「引っ越し会社のスタッフたちと必死に荷造りをしていて、うちの中は荷物を詰めた段ボールでいっぱいという慌ただしい状況下で、突然メロディと歌詞が同時に降りてきたのです!<中略> 『昴』の歌詞はまず初めに頭にポンと降りてきたのは、いちばん最後のフレーズである「さらば昴よ」でした。<引用:谷村新司「確かに、入浴中やシャワー中、歯を磨いているとき、夜の就寝前に布団の中でまどろんでいるときなど、リラックスしているときに突然アイディアが浮かぶことはよくある話だ。それ自体について特段変わった点はない。しかし、谷村新司が『昴(すばる)』の歌詞について体験したひらめきは、単に「アイディアが浮かんだ」というレベルをはるかに逸脱していた。なんとそれは、天体の「昴(すばる)」、すなわちプレアデス星団から谷村新司に向けて送られた宇宙からのメッセージだったというのだ。谷村新司は『昴(すばる)』の歌詞に関するプレアデス星団との交信について、著書の中で次のように述懐している。突然頭の中で声が聞こえてきました。日本語で「これからダイレクトですよ」と言われたのです。プレアデス星団からの問いかけは、性別や国籍を超えたフラットなトーン。私の頭の中で鳴り響くだけで、もし隣に坐っていたとしても、私以外の人には聞き取れません。問いかけに対する私の返答も、言葉を声に出すことなく、頭の中で行っています。<引用:谷村新司「プレアデス星団からの問いかけは、なんと日本語で、谷村新司の頭の中に直接語り掛けるダイレクトメッセージだったようだ。谷村新司の回想はさらに次のように続く。文中の「彼ら」とは「プレアデス星団」を意味している。私がまず彼らに尋ねたのは「なぜ自分に声をかけてくれたのか」ということ。それに対して彼らは「私たちのヒントも頼りにしながら、半ば自力でかなり正しい場所までたどり着いたから、あとは直接導きたいと思ったのだ」と答えてくれました。寝食を忘れた私の猛勉強を秘かに見ていてくれたのです。それから彼らは私の問いに何でも答えてくれるようになりました。<引用:谷村新司「谷村新司を高く評価していたプレアデス星団は、その問いに何でも答えてくれたという。まるでiPhoneのAIアシスタント「Siri(シリ)」や、アマゾンのAlexa(アレクサ)のように。谷村新司は、プレアデス星団が導いたという『昴(すばる)』の歌詞の意味についても問いを投げかけてみた。本人にとってもその意味は長年の謎だったのだ。しかし、何でも答えてくれるはずだったプレアデス星団は、なぜか『昴(すばる)』の歌詞の意味についてだけは答えてくれなかったという。その問いに彼らは「あの曲は、あなたが書いた曲でしょ」としか答えてくれません。どうやら彼らは「あの曲を書いたあなたには、世界の悩める人びとに新しい考え方や視点を持つための気づきを与えるきっかけ作りをする使命がありますよ」と励ましてくれているらしいのです。それから『昴』を巡る私の旅が始まりました。<引用:谷村新司「『昴(すばる)』の歌詞の意味について、プレアデス星団から答えをもらえなかった谷村新司。それでも彼は、やがて自分なりの意味や解釈を導き出していくことになる。谷村新司は、天体のすばる(プレアデス星団)が古代中国の「二十八宿」で「財の星」と呼ばれていることに言及しながら、「さらば昴よ」の意味について次のように述べている。もしも昴が「財の星」だとしたら、現代風に言うならそれはまさしく物質文明のシンボル。その「昴」に「さらば」と告げるのは、物質文明にサヨナラを告げようという意味に他ならないのです。<引用:谷村新司「「物質文明」とは「物質的な豊かさ」であり、そんな世界に別れを告げ、精神的な豊かさを追い求める新しい時代を迎えようと悟りを開くに至ったようだ。物質的な豊かさを追求しようとするとキリがありません。際限のない追求に明け暮れているうちに、やがて物欲に支配されるようになり、目に見えるお金やモノのみに執着するようになります。そんな時代にきっぱりとサヨナラを告げよう。今後は目に見えないモノを見て、お金やモノといった物質に囚われることなく、精神的な豊かさを追い求める新しい時代を作っていこう!それことが「さらば昴よ」というフレーズに込められた本当の意味ではないのか。私はそう気づかされたのです。<引用:谷村新司「